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吉永小百合と渡哲也の関係が悲しすぎる!若い頃結婚できず破局していた!

大女優の吉永小百合さん。「サユリスト」と呼ばれるほどの熱狂的なファンを持つことでも知られていますよね!

実は、吉永小百合さんと渡哲也さんは若い頃結婚できず破局しています。

渡哲也さんはプライベートをあまり公にしていない俳優です。

吉永小百合さんと渡哲也さんの出会いから交際、辛い破局まで、その後どうなったのか悲しすぎる恋物語をお届けします。

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吉永小百合と渡哲也の悲しすぎる恋物語

大女優・吉永小百合さんと大物俳優・渡哲也さん、この二人に悲しすぎる恋物語があったことをご存知でしょうか?

※若かりし頃のお二人の画像です。美男美女ですね!

2020年8月10日に渡哲也さんが肺炎で亡くなりました。

世間に衝撃を与えたニュースでしたよね。

渡哲也さんの訃報に吉永小百合さんがコメントを寄せていたことが話題となりましたが、なぜ話題になったかと言うとそれは過去に二人に熱愛報道が出ていたからでした。

 

1967年から1969年の約2年間、吉永小百合さんと渡哲也さんは交際していました。

きっかけはなんと俳優・中尾彬さん!

※若かりし頃の中尾彬さんと、加賀まりこさん。

2人がどのような経緯で知り合い、どうして悲しい結末を迎えてしまったのか見ていきましょう。

吉永小百合が中尾彬から言い寄られていたところに渡哲也が登場

中尾彬さんが若い頃、実は吉永小百合さんと密会していたと言うことを明かしたことがありました。

1975年頃、人気絶頂だった吉永小百合さんと何度か会うたびに中尾彬さんは徐々に吉永小百合さんの虜になっていったそうです。

幾度にも及んだ密会の中で、中尾彬さんと吉永小百合さんに事件が起きます。

吉永小百合さんの広島ロケに中尾彬さんが立ち寄った際に、吉永小百合さんは宿泊先の浴衣を着崩し酔っ払っている吉永小百合さんの姿を見てしまったのでした。

だらしない吉永小百合さんの姿に中尾彬さんは激怒!

自分の部屋に呼びつけて説教をしているところに止めに入ったのが渡哲也さんでした。

ただ、なぜそこに渡哲也さんがいたのかはいまだに不明です。

ちなみに、熱烈なラブレターを送るなどしてその気にさせた中尾彬さんから熱烈に言い寄られていたにも関わらず、吉永小百合さんには一切その気がなかったそうです。



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吉永小百合と渡哲也の馴れ初めや初共演

吉永小百合さんと渡哲也さんの出会いは、1966年公開の映画『愛と死の記録』でした。

本来であれば、吉永小百合さんと共演するのは俳優・浜田光夫さんでしたが、病気のために出演できなくなり渡哲也さんが抜擢されました。

今思えば、きっと運命だったのではないでしょうか。

映画で初共演だったにも関わらず、二人はすぐに意気投合!

さらに、2人は1967年公開の映画『青春の海』で再び共演して恋に落ちました。

吉永小百合と渡哲也が真剣交際へ

恋に落ちた二人は交際を始めました。

1968年頃には、なんと渡哲也さんが親しい友人たちの前では吉永小百合さんのことを「うちのカミさん」と呼んでいたそうです。

二人の交際は周知の事実だったんですね〜!

周りに話していることからも真剣交際であることがわかりますよね!

結婚も視野に入れた関係へ

吉永小百合さんと渡哲也さんの交際は順調に進み、結婚を考えるほどの真剣交際だったようです。

大人気の二人のデートはいつも吉永小百合さんの自宅でした。

しかも当時、吉永小百合さんは実家に住んでいて、デートの際は吉永小百合さんの部屋ではなく応接間で両親同席だったそうです。

現在であれば、あまり考えられない状況ですよね。

吉永小百合さんの両親公認と言うよりは、監視されていると言う方がしっくりくる状況でしょうね。



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吉永小百合と渡哲也が結婚を目前に破局した理由は両親の猛反対だった

デートに吉永小百合さんの両親の監視が入っていることからもわかるように、結婚を視野に入れていた二人の交際は吉永小百合さんの両親に猛反対されていたようです。

実はデートが吉永小百合さんの自宅だったのは、外で二人が会おうとすると吉永小百合さんの両親から「今日は行けません」と連絡が入っていたそうです。なんとなく両親から操作されている感じがしますね。

さらに当時、吉永小百合さんのマネージャーと務めていた吉永小百合さんの父親からは「交際は認めるが結婚は認めない」。

母親からは「もし結婚したら相手を絶対に許さない」と、完全に吉永小百合さんの両親が結婚に猛反対していたことがわかります。

なぜ、ここまで吉永小百合さんの両親は結婚に猛反対していたのでしょうか?

吉永小百合の両親はなぜ結婚に猛反対したのか?

真相は、吉永小百合さんが吉永家の大黒柱だったことが一番の理由でしょう。

当時、大人気女優だった吉永小百合さんの稼ぎに頼っていたため結婚して嫁がれると生活していくことが困難だったのです。

いわゆる寄生している、毒親ですよね!

 

さらに、吉永小百合さんの母親は結婚に対して強い拒否反応を示していたようです。

渡哲也さんに対して不満があったわけではなく、吉永小百合さんの母親が幼少期に祖父にこき使われて結婚したことを嘆く祖母を見て育っていたことや、自身の結婚後の苦労と重なっていたことが原因なようです。

余談ではありますが、吉永小百合さんの母親は、その後結婚した吉永小百合さんの夫に対しての恨み辛みが綴られたエッセイ『母だから女だから』を1976年にを発売しています。

ここまで執念的だと寄生と言うより、子供を自分の所有物と勘違いしているのではないでしょうか。

現代で発売されていたらバッシングの嵐になりかねないエッセイですよね〜。

吉永小百合と渡哲也・若い頃い頃破局した未練や苦しみは大きかった

吉永小百合さんの両親の猛反対の末、吉永小百合さんと渡哲也さんは、1969年に破局してしまいました。

ただ、破局に至るまで猛反対する両親に吉永小百合さんは反発し、渡哲也さんとの恋は燃え上がるばかり。

渡哲也さんは酔っ払うと、

「なんで俺のところに飛び込んできてくれないんだ」

と吉永小百合さんに電話して結婚を迫っていたようです。

しかし、踏み出しきれない吉永小百合さんとは煮え切らない状態が続いていたそうです。

最終的には、吉永小百合さんが両親を説得できずに、渡哲也さんとは破局してしまったのです。

渡哲也さんに直接「あなたとは結婚できません」とお伝えしたそう。

現在ではあまり考えられない展開でしたが、当時は両親に逆らえないこと両親の決めた相手と結婚することは当たり前の時代。

時代が違っていれば、この二人は結婚できていたでしょうね。



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その後渡哲也が一般女性と結婚

渡哲也さんは、吉永小百合さんと1969年に破局後、1971年に一般の女性と結婚されています。

出会ったきっかけは不明ですが、同じ青山学院大学に通っていた在学中に知り合い恋に落ち、交際がスタート。

渡哲也さんの1歳年下で青山学院大学の同窓生。名前を俊子さん(旧姓:石川)と言います。

青山学院大学業後に渡哲也さんは俳優として芸能界に入ります。

この時も交際は続いていたようですが、なんらかの事情で一度破局しています。

実は、嫁・俊子さんの叔父が都内にある病院の院長で嫁・俊子さんはかなり裕福な家庭で育ったお嬢様でした。

そのためデビューしたばかりで無名の役者だった渡哲也さんを快く思ってなかった可能性が高そうです。

そして、嫁・俊子さんとの破局後、渡哲也さんは吉永小百合さんと交際を開始。

吉永小百合さんと破局後に、嫁・俊子さんと復縁し結婚に至ったようですね。

吉永小百合がストレスのため声が出でなくなる

破局後に、渡哲也さんが結婚したことを伝え聞いた吉永小百合さんは、ヨーロッパに単身で傷心旅行に旅立ちました。

傷心旅行から帰国後も、吉永小百合さんは何もやる気が起きず自暴自棄になっている節があったようです。

渡哲也さんと別れてまで従った両親に対しては反発するようになりましたが、しかし相変わらず過密スケジュールはそのまま。

あまりの多忙ぶりに、ついには精神的なストレスから声が出なくなってしまいました。

いかに吉永小百合さんが追い詰められていた状態なのかが伺えますね。

岡本太郎が吉永小百合を支え、結婚

憔悴しきった吉永小百合さんを支えたのが、現在の夫・岡田太郎さんでした。

当時、岡田太郎さんは吉永小百合さんより15歳年上でテレビプロデューサーをしていました。

吉永小百合さんの体調を気遣い、親身になって話を聞いて様々な治療法をを勧てきたようです。

「声が出なくても一生懸命やれば見る人はわかってくれるよ」

と励ましてくれていた言葉に心を打たれたと吉永小百合さんは語っていました。

夫・岡田太郎さんの献身的なサポートの結果、吉永小百合さんは無事に声を取り戻し、夫・岡田太郎さんに対して想いが膨らんでいったようです。

そして、1973年吉永小百合さんが27歳、人気絶頂だった時に現在の夫・岡田太郎さんと結婚を発表したのです!

夫・岡田太郎さんが吉永小百合さんより15歳も年上であること、夫・岡田太郎さんがバツイチだったこともあり、結婚については世間からも両親からも不安の声が聞かれたようですね。



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吉永小百合が強引にでも結婚に踏み切った理由

実は、二人の結婚は両親からまたも猛反対を受けていて、なおかつ夫・岡田太郎さんも自身がバツイチであるために吉永小百合さんとの結婚を渋っていたそうです。

結婚に対して前のめりだったのは吉永小百合さんだけでした。

愛し合った渡哲也さんとは結婚しなかったのに、現在の夫・岡田太郎さんと強引過ぎるまでに結婚に踏み切った理由はなんでしょうか。

 

夫・岡田太郎さんと結婚後、女優業を1年間休業している吉永小百合さん。

当時のことを「もう一度、人間らしい生活をしたい」と語っていました。

結婚相手は誰でもよかったこと、両親との決別する目的で結婚したことを赤裸々に語る吉永小百合さんは少し悲しげに感じました。

交際する男性だけでなく、私生活や行き先までチェックされ、両親に管理された生活は吉永小百合さんからすれば、「人間らしくない」と感じていたのでしょう。

全く自由のない生活、結婚することで何か変わると思い結婚に踏み切ったのでしょう。

吉永小百合と渡哲也のその後

1969年に悲しい別れをした吉永小百合さんと渡哲也さんですが、破局後も良き友人、相談相手として親交は続いていたようです。

1989年から30年以上、宝酒造『松竹梅』のCMに出演されている渡哲也さん。

1998年から2000年までの3年間、吉永小百合さんと共演していたことが話題になっていました!

2016年から再び同じCMで共演していて、この効果から宝酒造『松竹梅』は2018年日本酒の国内出荷量1位を記録しているんです!

CMの撮影で再会した二人は、撮影の合間には談笑したりと和気藹々と過ごされていたそうです。

友人としても仕事仲間としても良い関係が築けていたようですね!

2020年8月10日に渡哲也さんが78歳で亡くなった際には、吉永小百合さんが直筆の追悼コメントを発表しています。

「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで 泳いで 恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか。

 大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です。

 ご冥福を心からお祈りいたします」

引用元:サンスポ

詩のような綺麗な中に渡哲也さんへの想いが溢れている内容ですよね。

まとめ

大物俳優である吉永小百合さんと渡哲也さんに悲しい恋物語があったことは、今ではもう二人の中では良い思い出なのかもしれません。

時代が時代ならきっと結婚できていた二人に心が締め付けられてしまう方もいたことでしょう。

作品内では笑顔でいるお二人からは想像ができないことからも、本当にプロの俳優ですよね!

当時の裏側を知ったからこそ、当時の作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか!

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